現代人に『置物を飾る』という文化を提案するには
過去に2年ほど、石川県にある置物素地を専門に作っている窯元で働いていたことがあります。
九谷焼研修所という伝統工芸の後継者を育成するための養成所を卒業した直後のことでした。
石川県の九谷焼と言えば、上絵付の技法が特徴的な焼き物です。
たいていは食器に絵付けをするのがもっぱらで、恐らく九谷焼に置物のイメージを持っている人はそれほど多くはないでしょう。研修所を出た後の進路に関しても、絵付けをするか、ろくろなどで絵付けをするための器を作る素地師になるかのどちらかという固定概念が業界の中にもあったように感じます。
そんな中、僕がどうして置物屋さんを就職先に選んだかというと、立体造形がしたかったからでした。
筆を使う絵付けも、器を作るろくろも楽しいとは思いましたが、一生かけて極めるとなると何か違う。子供のころからプラモデル作りに熱中していたので、やっぱり形の入り組んだものをちまちま作るのが自分らしいなと考えました。
ところが、この置物というのが商売としては中々難しい。
置物というのは、和室の床の間や玄関などに飾られるのが普通ですが、現代の住宅はそうした『置物専用スペース』の確保を考慮した設計にはなっていません。
加えて、そんな現代的な住宅様式で育った若い世代にとって、置物を置くという習慣自体が馴染みのないものになっています。
そんな人たちに何千円とか何万円とかする置物を買ってもらうというのは無理があります。
実際、僕の勤めた窯元でも、主力商品は手のひらサイズの招き猫の素地でした。
金沢などの観光地で売られているミニサイズの招き猫です。置物本来の『縁起を願って飾る』という目的のためではなく、あくまで土産物です。『見た目が可愛いから』
『価格や大きさが手ごろだから』という理由で買う人がほとんどでしょう。
時代の変化もあるので、そうした仕事自体は否定するつもりはないです。
また、板いっぱいに並んだ小さい招き猫をひとつづつ仕上げていく、というのも作業としては性にあっていました。
ただ、同時に思ったのが『かわいい土産物』に出せる価格の上限には限界があるな、ということでした。
安くて量のある仕事をずっとやっていても楽にはならないし、そういう状態が普通になれば、世間の人たちは置物というのはそれだけの価格、それだけの価値しかないものだという認識になってしまうのではないか。そんな危機感がありました。
そういうわけで、作家として独立の一歩を踏み出した今、『現代人に置物を飾る文化を提案する』ということを僕は目標に掲げることにしました。
問題は、何がどうなったら『置物を飾る文化をお客さんに受け入れてもらえた』と呼べる状態になるのか、というところです。
それは『置物ってそもそも何のために飾るの?』という本質論にも繋がってきます。
招き猫の例に話は戻ります。
お金やお客さんを呼ぶといわれる招き猫ですが、元々は魔除けの意味があったそうです。
招き猫の場合の『魔』という観念的なものではなく、倉庫の中の農作物や蚕を食い荒らすネズミのことです。昔は今ほど猫の数が多くなく、ネズミ除けの猫を飼える家は限られていました。だから代わりに招き猫を置くようになったわけです。
昔は今と違って便利な殺鼠剤などはありません。汗水垂らして作った農作物が、いつのまにかダメになるということは多かったでしょう。
そうならないよう神頼みで祈るしかなかった。それ以外の手段がなかった。
招き猫という置物が誕生した背景には、当時の人々の切実な願いが込められているように僕は感じます。
伝統的な置物文化と、土産物の置物を分けるのはその『切実さ』だろうな、というのが僕のアイデアです。『リアルさ』と言い換えてもいいかもしれません。
それは平和で便利な世の中が長く続いたことで、日本人の中から失われていったものなのかもしれません。ありがたいことに、店先に招き猫を飾る信心深い方は今も多くいらっしゃいますが、昔の人と同じ『切実さ』がそこにあるかというと違うでしょう。
コロナで会社が倒産かけたときに政府の補助金を期待する人はいても、招き猫に祈る人はいないでしょう。
なら、現代人が『切実さ』を持って祈ったり願ったりしていることを、置物に込めてみたらどうか。そうすれば『置物を飾る』という文化はアップグレードできるのではないか。
僕はそう考えました。
夢を叶えるには、目の前のことを地道にこつこつやっていくしかない。
お金がなかったり、心身の健康を崩したり、自分の能力に限界を感じて、心がくじけそうになるときもある。
でも、細かいパーツを組み合わせるプラモデルのように、少しづつ、丁寧に、今の自分のできることをこなしていくのが大切だ。
そんな願いが込められていると見る人に伝わる置物が作れたとしたなら、現代人の感性に響くでしょうか。
『切実さ』『リアルさ』を感じ取ってくれるでしょうか。
僕は可能性はあると思います。
まだ、時間はだいぶかかりそうですが、少しづつ形にしていく予定です。